トミーのウルグアイ便り
その1.

このページでは、以前私の生徒で、もと中学音楽教師、日本の中学生ジャズバンドの指導者としても有名な永富 紀士(ただし)氏が、ドミニカで大学の音楽教授として活躍された後、スペイン語の猛勉強の末、ドミニカで射止められた若い奥様と、南米ウルグアイでまた音楽指導者として活躍されている様子を紹介しています。
 
お元気ですか。

さて私たちも余裕をもって元気にしております。梅干以外の日本食材も何とか手に入るようになり、ほとんど日本食ですね。

何よりこのウルグアイの教育省をはじめ教師たち子供たちが私の到来を待ちわびていたことが嬉しいです。白人社会でインフラも整備されているのに公立小学校では音楽教育はカリキュラムが貧しいかぎりでただ素朴に歌うだけ、地方ではほとんどなされておらず、17世紀18世紀ごろの時計が止まった感じで素朴な人柄と大地だけはふんだんにありますが、、、、

目に見えない成果からはっきりと確実にここウルグアイで確かな後継者づくりをして教育省ではより音楽的で楽しいウルグアイの音楽教育カリキュラムを作らせ、またリズムと音楽感性に本来恵まれた資質を持ちながら、ほとんど開発されてないウルグアイのこどもたちが使えるリコーダーメトードを完成したいと思ってます。多分それは他のラテン諸国でもきっと使えるはずです。

給料が安い教員や教員養成大学生のモチベーションを高める作戦も立てなくてはいけません。

4月の2週目から仕事をしています。オフィスの古いパソコンを同期のシニアに来てもらって修理することからはじめました。ウルグアイ民族音楽をまずP.C.でリコーダー用にアレンジすること、事務雑事に追われて研修を怠っている教育省の指導主事たちを集めて一週間に一度技術移転の研修会をすることに成功しました。音楽教員のレベルが低い地方回りもはじめております。

先日もモンテビデオから100km離れた Rosario 地区では校長先生たちや教員に音楽教育のための学校体制を整えるようにカウンターパートが公聴会を設定してくれて私も参加して演説?をしました。会議の最後にリコーダーのデモ演奏をして納得させてきました。具体的な行動を起こしてくれるか少し心配ですが、、、、

昼食はその地区の自閉症の子供たちを集めた学校で献身的な若い女性の校長先生のもてなしに与り、お礼にリコーダーとサックスの演奏、同行してくれた妻マリアのドミニカ民族ダンスとメレンゲのダンスを披露して生徒たちの心をかなり開放させることができたのではないかと思いました。

こうして時々夫婦でボランティア活動することはこちらのひとの最も望むことのようで想像以上に喜ばれています。音楽監督局は民族ダンスも管轄しているのでマリアは今や強力な助っ人として見られており、何度か先生たち対象の民族ダンス研修会にかり出され絶大な信頼を得ています。

さて先日はアルゼンチンとの国境の地方都市 Paisandu の普通の公立小学校(午前、午後の二部制)とこどもたちが放課前後通う音楽学校へ行ってきました。音楽学校と言っても公立小学校の運動場の隅で小さな教室を間借りしたような、ピアノもギターも古い楽器ばかり、昨年日本から送られたリコーダーが数本、、、

そこで教師と子供たち対象の講習会をはじめましたがリコーダーをやってない子も集まってきて大変な騒ぎでした。東洋人が珍しいこともあったようですが、、、先生たちも生徒も実に熱心に取り組んでくれました。

講習会の最後は簡単な打楽器とギターと踊りを加えた伝統音楽を演奏してくれました。彼ら(白人のこどもたち)の先祖が滅ぼしたインディオの音楽を自分たちの伝統音楽として捉えているのが歴史を知る私には奇妙に感じましたが、、

その音楽があまりにも日本の音階と類似していることに私は驚きの声をあげてしまい早速参加して日本的なインプロビゼーションを熱演?即興演奏がいかにヒトの心を魅了するかを実演して見せたので子供たちも先生たちもこの東洋人の乱入に刺激されなかなかのセッションになったのです。

其のとき地元のテレビ局の取材が ありました。翌朝テレビをみた多くのひとに町で声をかけられたり、どうやらコロンブスと同じようにジパングはテクノロジーを持った黄金の国と思われているようです。またその夜は町の中心にあるスペイン風の古いカテドラルでイタリア人のパイプオルガニスタとロシア人の若いソプラノ歌手の演奏会を無料で聴けることを知り急いで駆けつけ、心が洗われる珠玉の音楽と教会の建物に響き渡る圧倒的な音楽を聴くことができました。

世界的な演奏家がどうしてこのようなウルグアイアルゼンチン国境にある小さな町へ来たのか詳しく知る由もありませんが、、奇しくもアンコールはほんの2時間前私が講習会の最後で演奏したバッハとグノーのアベマリアでした。
 さて三日間に渡る講習を終えて名残を惜しみながら子供たちや先生たち全員に頬にキスをされて、この儀式?が大切でけっこう時間がかかるのですが、別れを告げました。何人かの男の子たちが町外れの公園に先回りして手を振ってくれたのが凄く嬉しかったです。

夕闇の草原を再びひた走りモンテビデオに到着したのは夜中、かなりの強行日程でしたがウルグアイのひとたちの質素でマジメでやさしい人柄に触れたので疲れを感じません。 このような出張が来週も来月もびっしり組まれております。

さて嬉しい週末がやってきました。アパートの前のラプラタ川沿いの芝生で妻とサッカーボールを蹴り草テニスに汗を流し、ウルグアイ人を招いて日本食もどきの昼食会、聞き取れない早口のウルグアイスペイン語に苦労しながら楽しいひと時を過ごしています。

夜は近所の映画館で安い料金で話題作をみて、ひとつはスペイン語を覚えるためですが、目的は映画が好きな妻への奉仕でもあります。妻の夢は将来?外国人初のシニアボランティア日本語教師だそうです。

ドミニカ共和国で十分な教育を受けていなかった妻が今ではウルグアイの大学の日本語クラスで学びボランティア活動をしたり、ほぼ完璧な日本食を作れるようになったり、スペイン語で「枕の草子」を読んでいるのです。私との出会いは全てJICAのお蔭だと申しております。

さて私のもうひとつのライフワークはサックスの演奏なんですが、昨日はコロンブスが到来した1492年から1549年までの50年間、初期のスペイン統治時代の展覧会がモンテビデオの古い建物で行われ、その開会式で演奏してきました。

全くのソロでウルグアイ国歌、ドミニカ国歌、日本の国家君が代、バッハなどのクラシック、エンリケグラナドスなどのスペイン音楽、ウルグアイのひとが誰もが知ってるメロディ、そして自作の日本音楽(春の海、日本民謡など)が特に好評でした。メレンゲなどのカリブ音楽では踊るひともでてきました。

もっとも感動(私が)したのは、バッハのカンタータ147番を演奏中、一人の年配の女性が立ち上がって私の真ん前に来て最初はニコニコ指揮者のように手を振りながらそしてその手も次第に止まり目にうっすら涙を浮かべて聞いているのです。きっと彼女にとって特別な思いがあるのでしょう。

さてモンテビデオの町へ出れば熱いお湯の入った魔法瓶とマテ茶を抱えて歩いているウルグアイ人が多いですね。また会議のときにも回し飲みする習慣だけはインディオの伝統なのでしょうか。それを白人がやっているので私にはまことに奇妙に映ります。

しかしここはドミニカと違って電気と水が24時間あるだけでも幸せと思わなくてはいけません。とにかく地味に生活しております。

住めば都、少しずつここのいいところを見つけたいです。早速、タンゴの「ラ クンパルシータ」や「アストル ピアソラ」の曲などをピアノやサックスで練習してます。安くておいしい子羊の肉を使って料理したり、塩分の少ないナチュラルチーズを探し当てましたし、私たちは魚党なので現地の魚を日本風に料理してます。

しかし毎日妻のマリアと無いものねだりをしてますね、、日本の新鮮な野菜、魚、スキースノーボード、居酒屋、、日本はこの前出発したばかりなのに、、、マリアは温泉!温泉!と叫んでます。

大雪を日本で経験し、なかなか変化のある暮らしを島根県の山奥で体験したあとでここでは日々これ「学ぶ時間」を楽しんでますね。まあこのように定年後を日本や外国で得た自分の経験や知識を伝える仕事をしながら違った環境で生活しキケンを掻い潜って楽しみを見つけ、其処に慣れ親しみ好きなように生きるマイライフを過ごしています。

問題はスペイン語です。ウルグアイのひとたちのスペイン語はアクセントも単語も独特です。会議やテレビ新聞をネイティブ並みに理解できて話せて書けるまでは、、、気が遠くなるくらい遥かな道ですがメゲズにやってます。息抜きに日本語の本を読む時間の何と楽しいことでしょうか。
難解な石原慎太郎の「衝撃の現代若者論」も私のレベルで読めて頷いたり、彼が自分の文体スタイルを確立しつつあることも、開高 健や江藤 淳、そして三島などを彼自身が目標にしているような、、、知事をしながらこれだけのものを書き続けるエネルギーと作家としてスタートした初心を忘れていないこと、何と言われようと怖いもの知らずの若者テンションが70歳の血管に煮えたぎっていることが凄いです。

彼に比べれば知能、語彙力は幼児並みの私ですが、64歳になっても無駄と知りながら知識を吸収し体の訓練をし、語学をインセンティブに学び、音楽の練習をし続けるのは「明日地球が滅びるとも、今日リンゴの木を植える」志と同じなんでしょうね。

ひとに何と言われようと派遣前の研修で学んだことを自分なりに具現し独自のボランティアスタイルを確立しつつあります。JICAとの出会いが以前は貧しい性格で恥ずかしいくらい独善的であった自分を修復してくれ、少しずつひとに影響を与えられるような人間に成長しつつあります。

過去の私を知るひとが今の私を見たらその変貌ぶりに驚くと同時に昔からどこかいつも遠くを見つめていた私の眼差しが今も変わっていないことに気づくはずです。

長々と書いてしまいましたが、、、

ワールドカップ初戦オーストラリアに勝ってくれれば私の仕事は益々順調になるのです。何とウルグアイは大陸間決定戦でオーストラリアにPKで負けてドイツへ行けなくて、みんなしょんぼり、その仇を日本が取れば私の立場と説得力は倍増します。

写真は家の前のラプラタ川沿いの景色と、地方の学校のこどもたち、オフィスの同僚の誕生パーティです。

ではお元気で。永富&マリア
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最終更新日2006/5/30