サックス教室

サックスプレーヤーであり、フルート奏者でもある(KOSE)こと菊地康正の公式ホームページにようこそ。音楽を楽しみたい方のためにサックス道場、フルート道場も主催しています。




Kose's old essei 4



イパネマの娘・・は、どんな曲なのか。
 
 作曲者のアントニオ・カルロスが、避暑地

のイパネマ海岸の喫茶店でお茶を飲んで

いると、背の高くてスタイルの良い若くて

キュートなウェイトレスが、お茶を給仕

してくれる。

 ああ、この娘は、なんてキュートなん

だ!・・てな内容なわけで、A 部分が、

彼女の説明をしている部分。B 部分は

、ああ〜〜と彼女の魅力に参ってしま

っている部分と分析できる。

ああ〜という陶酔した感じが出せるか

どうかが、この曲のポイントとなる。だからとりあえずテーマでは、そういう気持

ちの良い陶酔が表現できなくてはならない。その後に、フレーズを展開していく

ことになる。以下イパネマの娘の訳詞を見つけました。

(原詩:ビニシウスジモライス)

★おや、なんとも美しい人 /本当に愛くるしい /

その女性が…少女がこちらに歩いてくる/

甘美なステップで海にむかって /
 
イパネマの太陽を浴び /

黄金色に日焼けしている彼女の体 /

彼女の歩調は /

ポエムの響きよりもリズミカル / 

これまでここを通ったどの女性より/

最高に美しい娘 /

あぁ、どうして私はこうも独りぼっちなのか /

あぁ、どうしてすべてがこんなに /

悲しく映るのか /

あぁ、こんなに美しいものが存在するなんて /

しかも私ひとりのものじゃない/

そして彼女も独りで過ぎて行く  /

ああ、もし彼女が… /

彼女が通り過ぎる時 / 

人々が微笑み幸福で満たされることを知っていたなら /

そして愛のために /

世界がより美しくなることを知っていたなら /

愛のために

ちなみに、アドリブが難しく、プロでもコード進行の解釈に困っている、イパネマの娘

の練習法はこちらです。








ここで思い出すのは、

数年前に、生徒のE 君

のレッスンで私のオリジ

ナル曲「Spring wind

(CD Sax Machines に

収録)をレッスン中の

こと。

K E 君の演奏を聴いて

「なんか気分が出ない

ねえ?E くん」


E「そうですね?どうしたらいいんでしょうか?」

K「そうだいいことがあるよ、まず想像してみたまえ。君はいまバケーションで、オー

ストラリアの高級リゾート地、ゴールドコーストの、海縁の一流ホテルの、プールで

くつろいでいる。

パラソルの下で、水着に、片手にはブルーのトロピカルドリンクにパイナップルが

無造作に乗っている。そしたら、ブロンドと黒髪の、素敵な水着姿の女性が二人、

す〜〜っと通り過ぎていった。

そのあまりの美しさに、く〜〜〜!(頭を横に振る)・・・という気分で吹いてみた

ら??」


E「わかりました。く〜〜〜!」ですね?

********そこで演奏・・ブリブリ〜〜********

E「先生、なぜかうまく吹けました!(笑)」

K「そうそう、イマジネーションが大切だよね?とても魅力が感じられる良い演奏

でした。(笑)」

注意:上記は男性用のイマジネーションなので、女性の場合は、何か適当なあこ

がれの存在に置き換えて活用下さい。(笑)




マイルスの話題
菊地康正のサックス、フルート道場
 若い人に、マイルスのすごさや素晴らしさを

伝えたいのですが、さてどこから入ったものか

・・・・  最近は、まったくジャズを知らない人も

私の教室に入門するようになっているので、

歴史的に音楽を聴くというのも、みんなに必要な

ことかも知れません。

 本当に全く知らない人のために、マイルスは、チャーリーパーカー

やディジーがレスピーなどが始めたビーバップというムーブメント

に身を投じたのがたしか20才くらいの時。その後、時代の流れを

30年以上にわたって引っ張ってきた、偉大なトランペット奏者。  

私も生では、数回聞きましたが、1992年に亡くなる3ヶ月前のオラ

ンダ・ノースシージャズフェスでの演奏は圧巻した。そのあまりの

かっこよさにしびれました。

 思い起こすとジャズに興味を持ったのが中学高校生のころで、

高校生のころはよくジャズ喫茶でコーヒー一杯で数時間は粘り、

色々聞いていたものですが、その頃はまっていたジョン・コルト

レーンの方に関心があったので、でもマイルスも良くかかって

いて、その疾走するスピード感は、感じていたものです。

 高校生くらいにちょうど、電化マイルスになりかけの頃だった

のを良く覚えています。 「キリマンジャロの娘」から「インナ

サイレントウェイ」を経て「ビッチズ・ブリュー」に至る流れの

頃です。

ああ、なつかしい。  その後、時系列は逆ですが、プロにな

ってから、順番に聞いていきました。

 橋本君も推薦のマラソンセッション、Cookin', Steamin',

Walkin', Relaxin'
はスタンダードをやろうとしたら、絶対に聞

いておくべき教科書的な作品群ですが、昔はもっと後の

時代ばかり聞いていたものです。今聞いても色あせない

、恐るべき内容の充実です。




 上り調子のジョン・コルトレーンやキャノンボール、ビル

エバンスのピアノなども注目です。 アドリブの展開スリル、

マイルスの歌心を楽しむには、マイファニーバレンタイン、

フォアアンドモアの二枚は押さえた方が良いでしょう。




ウエインショーターが入るまでに何人かテナー奏者が入り

ますが、ジョージコールマンの音の良さは聞いておいても

いいでしょう。ウエインショーターが入ってからの数枚、

インベルリン、ソーサラー、E.S.P 、マイルススマイルズは、

フレーズのひとつひとつがもうDNA レベルまで達している

ような錯覚があります。(だから最近のウエインショーター

は今ひとつ聞けない、失われてしまったものが大きすぎて・・)

菊地康正のサックス、フルート道場


 こうやって書き出してみると、この時代の雰囲気って独特

ですね?  最後の頃のでは、マーカスミラー(b)がプロデュ

ースした「TUTU」やデコイが印象に残っています。 マイル

スを聞いてジャズの歴史を・・・というのは、マイルスバンド

から飛び立った人たちはほとんど大物になりジャズの中心

的役割を果たすようになるのです。才能発掘の天才でも

ありました。2005/8


存在感 2001/3月
 もう10数年前になりますが、私がアーティストのバック

でツアーの仕事が多かった頃の話です。その当時はな

ぜかポップス系、ロック系のアーティストの全国ツアーに

バックミュージシャンとして参加するという仕事が多かっ

たのです。どこから仕事が来るかというとやはり友達関

係ですね?

 1年前に矢沢永吉さんの仕事を終えた私にベース

のT氏からW.×里という若い女性シンガーのツアーが

あるので一緒にやりませんか?というオファーが舞い

込んだ。私はテレビで見たことがあり、歌唱力のある

娘だなあと思っていたのだが、早速原宿の事務所へ

参上した。そのころ彼女は、CDのセールスが120万

枚を突破しており、毎年夏に西武球場のコンサートで

は3万人を集客していたのだった。  
 
 マネージャー氏に対面すると、いきなり「菊地さん、

OKです。よろしくお願いします。」と言われた!?一応

それまでの演奏を収めたデモテープ、今までの経歴

を書いたプロフィールを持参したのだが、そんなもの

は要らないと言われた。話を聞くと、…菊地さんが

矢沢さんのツアーで活躍されていたのは知っています。

 あとはそのルックスでOKです!…ということだった。

 その日は、ジーパンに薄い緑色のアロハシャツ、

その上に革ジャンをはおり、今より髪の毛の量は多

かったと思うが、その髪をディップで決めていた。

ルックスだけは完全にロック系のミュージシャンに見

られたらしい。

 時期に、世良譲さんなどとスタンダード中心の

バリバリのジャズもやっていたわけだから、端から見

るとこの人は何なんだろう?ということになるのかもし

れないが、私自身の中ではなんの矛盾もなく、音楽は

楽しくて面白ければいいのである。また要するにショウ

ビジネスとして見ると、音楽の技量は何割かで、あとは

ルックス、存在感、などが重要な要素なのである。


東京見物、忠臣蔵、ビーナスフォート 2001/03/21

 


今日は、息子の高校入学祝いを兼ねて、Tおじさんと私と息子

の3世代で、東京見物をしてしまった。こんなことでもないと行

かないようなコースでした。なかなか良かったよ。  まず、

品川駅から徒歩で10分。泉岳寺を訪れ、忠臣蔵で知られる、

浅野内匠頭長矩、大石内蔵助良雄及び47士の墓に参拝、

その後徳川家光の菩提寺である増上寺に移動、見学。

  ここで思い出すのは、元作家で経済企画庁長官堺屋太一

氏の著作の内容である。  忠臣蔵の仇討ちは、以前の私

も含めて、浅野内匠頭の家来大石内蔵助ら四十七人の

武士が1年9ヶ月苦労を重ね、元禄15年12月14日一方

的に悪者の吉良上野介の屋敷へ討入り、美事主君長矩

の無念を晴らし仇を報じた物語・・として認識していることと

思うが、堺屋太一氏によると、その背景が重要なのである。

 話はこういうことらしい。

…関西の新興ベンチャー企業である赤穂藩は、経済的には

豊かであった。なぜならば、塩の製法を吉良家からの指導の

元、熱心に学び業績を上げており、関西の経済圏では圧倒

的なシェアを占めていたのだった。新興ベンチャー企業の社長

である

浅野内匠頭の次なる野心は関東の経済圏の制覇であった。

ところが関東は吉良家のテリトリーである。簡単には入り込め

ないので、知恵を絞った浅野藩は、将軍家の朝の歯磨き用の

塩としては赤穂の塩を献上したのだった。

 これが将軍家に認められたことから評判を呼び、一躍関東経

済圏のシェアを伸ばしていくのだった。元はといえば、技術を

教えた立場の吉良家から見ると、これは飼い犬に手を咬まれ

る…のたぐいの裏切り行為にしか思えないだろう。あとは皆さん

ご存知の通りの物語なのだが、果たして吉良が一方的に悪い

と言い切れるかどうか?

 私が、大石内蔵助が素晴らしいと思うところはたくさんある

のだが、2つだけあげると、お家の通りつぶしが決まった時

点で、藩札をすべて清算したことである。これは特に取引の

有った大阪の商人たちが大喜びしたそうで、現在のような

破産宣告、会社更生法などの存在しない時代のことである

ので、とても誠実な対応だと言えるだろう。その後の討入り

も、このような誠実な対応がなかったら果たしてあのよう

に歓迎されたかどうか?また親類縁者に実害が及ぶこと

を恐れて妻を実家に帰していること。

新橋からユリカモメにのって、臨海副都心、お台場の施設

を訪れた。以前演奏の仕事で、ホテル日航や、昔からある

船の博物館は知っていたが、遊びで行くのは初めて。

見切れないほどいろんな施設が有ったが、今日はジョイ

ポリスとビーナスフォト、メガウエッブくらいしかみれな

かった。ジョイポリスはまあいろんなセンスの良い雑貨、

洋服などの複合ショップ、ウィンドウショッピングしながら、

小香港というレストラン街が目に留まりそこへ直行した。

 なるほど、香港のあの猥雑でエネルギーにあふれた感

じが演出されていた。おもしろいなと思ったのが、回転飲

茶。回転寿司さながらに、中華一品料理が回って来るの

は新鮮。案の定50人くらいが列を作っているので、食べ

てみたかったけど、パスして、ゆったりした別の中華レス

トランで、3人で会食。なかなかおいしかった。  

 このビーナスフォートは、私が以前から一度訪れてみた

いと思っていた女性向けのショッピングモールである。

まるでイタリアからローマの古代の神殿を思わせる内装

に数十の女性向けのファッション、雑貨、美容、レストラン

街などが詰まっている。期待していた天井を彩る照明は、

空と雲が映し出され、1時間ごとに夕焼けが楽しめるという。

なかなか素晴らしい。女性のためのテーマパークというよ

りは、いっしょに来ている彼氏との若いカップルが大半で

あるようだ。

  このテーマパークを考えついたのは宮本雅史氏、および

大前研一氏である。宮本氏はプレイステーションのソフトで

全世界で630万本を打った「ファイナルファンタジー7」の

ゲームソフト大手「スクウェア」の創業者。大前氏は皆さんも

ご存知かと思うが、早稲田、MITと進んで原子力の博士号を

取った後、国際的コンサルタント会社マッキンゼーに入社し

その後独自の視点から時代を先取りする評論活動を続けてい

る方である。ベンチャー起業家を育てるアタッカーズスクール

の校長でもある。著書はいつも参考にさせてもらっている。

 偶然この二人の著書「感動経営学、ヴィーナスフォート誕

生秘話」(小学館)を読んでいた私は、いつか来てみたいと

思っていたのだ。この本にも登場する、にこやかにお客様を

案内する係の女性の親しげな微笑みはとても素敵だった。

これぞビューティフルピープル!なるほどものを売るだけで

はなく、快適な空間、文化を創造するというのはこういうこと

なのかもしれない。私の息子も、ここを作った人はとても女性の

心理、感性に訴えることを考えているね?と二人でいや3人

で感心して帰ってきたのだった。

ビューティーフル・ピープル 2001/2月
 新しい車に乗って昨日は、高速道路で渋谷へ向かった。その

前に青葉インターのそばのコンビニへ、サンドイッチを買いに

行ったら、お店が改装しいてて、駐車場もできとてもきれいに

なっていた。レジのおばあちゃんに、とてもきれいになりました

ねと話しかけたら、・・・何の反応もなかった。都会でよくある

光景である。コンビニで買い物しても、電車で一緒に乗り合

わせても、現代の日本人はあたかも相手が人間でないように冷

たいそぶりだ。…と思っていたらおばあちゃんが話しかけてきた。

 にこにこしながら、正月は改装でてんやわんやだったんですよ。

あ、そうか!おばあちゃんも殺伐とした態度のお客さんばかり

いつも見ているので、すぐ反応できなかったんだ。私は田舎の

出身なので、買い物をするんでも、ただお金の受け渡しをするだけ

ではつまらない、良い天気になりましたね?そうですね、ぐらい

の会話はかわしたいといつも思っている。(私の田舎では、

皆そういう会話をしている)いい気分で仕事に出かけることが

昨日はできた。

 だがいつもは逆の気持ちになることも多い。郵便局やお

店のレジで、例えば私が買った品物が多くて、私の後ろに

並んでいる人がほんの少ししか買い物をしていないとき、

つい、どうぞ!と順番を譲ってあげるのだが、ありがとうぐらいは

いってほしいな…(無視されることも多いけどね?)また銀行で

振込が件数が多くて長引いたとき、次の人につい、お待たせし

ました…と言ってしまう。いいえ、どういたしまして…とにっこり

されたことは最近ないな…。

 同じ人間同士、同じ日本人同士なんだからそのくらいやっても

いいんじゃないのかな?殺伐とした世の中になってしまったもの

だ、特に都会は・・・。話に聞くと、アメリカやヨーロッパにはビュー

ティーフル・ピープルと呼ばれる人たちがいて、旅行者や観光客、

外人などにも気安く話しかけて町の会話を和やかにしてくれてい

るらしい。日本もそんな国にならないかな…と思う。


創作の話題 2000/11

先日生徒のNさんからこんなメールが届いた。

<先日は、レッスンを有難うございました。 vandorenでもBGと同じよ

うなタイプのものがあるのですか。窓開きだとまた音色が変わるの

でしょうか。私は、BGを使い始めてから、同じMPとは思えないほ

ど吹きやすくなり、音を出すのが楽しくてたまらなくなりました。リガ

チャーがこれ程重要なものだとは知りませんでした。>


<先日のレッスンでは、アドリヴをぶっつけ本番で吹くつもりだったので、

先生に譜面を見ていただくことになるとは思わず、未完成な汚い譜面

を差し出してしまい、本当に失礼いたしました。 ・・・・彼女は私に言

われて”I love you”のソロ創作をしてきた。・・・・

<先週の月曜日から必死に考えて何度も消しては書き直す作業を繰り

返しても、完成せず行き詰まっていたのですが・・・先生がサラサラッ

と音を直して、メロディを書き足して下さっている間に、私の作った

ぶつ切れのフレーズが、ひとつの音楽として流れ出したことを感じて

わくわくしました。


 しかも、先生が吹いて下さったことで、私が紙の上の書いた音符が、

息を吹き込まれた瞬間に、自分の手を離れて存在をしているというこ

とが、今までに感じたことのない不思議な感動でした。 自分で音楽を

作る、自分の歌を歌うってなんて楽しい、面白いことなんだろ うって

、初めて実感しました。いろいろと壁にぶち当たるとは思いますが、

焦らずに続けていきたいと思います。・・・・・・後略>



・・・・・ 作った曲が、自分の手を離れて、人に感動を与えたり、まるで

子供のように歩き出すのを見るのは感動ですね? 最初は、アイデァを

つなげて行くのが、とても困難を感じるものです。曲を作るのも、アド

リブをするのも同じで、努力しているうちに、つながってくるものです。

 別に自慢でも何でもないのですが、春のサンバは30分、サンバ東京

横浜は総計2時間くらい、Tales of the country もたしか2時間くらい

だったと思います。(作曲時間)昔、つながらなくて苦労していたのが

嘘のようです。春のサンバは、作った当日にSax machinesで演奏した

のですが、あの時ほど作曲者の喜びを感じた日はありません。何しろ、

昼間作った曲を、みんなが演奏してくれている。そしてお客さんが聴

いて感動してくれている(ように見えた)ンだからね?じわりじわり

と、傷ついた心が癒されていくようでした。私の曲は、昔の思いで、

風景、色彩などを思い起こさせるようです。(と、誰かさんも言って

おります)
ギターの話題 2000/11/02 


 今日はNHKテレビで天才少年ギタリスト木村大(18才)くんが登場していた。

演奏が良かったので、インタビュウを聴いていたらなかなか面白かった。演奏

は2曲聴いたが、馬鹿テクの上に心の表現も素晴らしく、やはり幼い頃からの

修練を思わせる。父親がプロのギタリストで、5才から英才教育、コンクールを

小学生の時から総なめにしていた怪童だったらしい。同じクラシックギタリスト

で腕も良く美貌で話題になっている村治香織がいるが、こちらもすごい。

 たしか渡辺香津美(日本を代表するスーパーギタリスト)さんも出たときは17

才だったのを覚えているが、こういった人たちは常人とどこが違うのかは、いつも

興味が有るところである。やはり話を聞いているとあるある、普通じゃないところ

が・・

 彼は、高校生の頃、すでに演奏活動をばりばりしていたが、クラシックをやって

いるというのを、妙なコンプレックスがあって友達にはエレキをやっていると言っ

たり、先生にも、それを知らない人がいて、あるとき数学の単位をやらないと言

われてしまった。そこで、誰も文句の付けようが無い点数を取ればいいんだね?

と数学の得意な友達に特訓して貰って100点を取った。めでたく単位を取ったの

は良かったが、その数学が得意な友達は95点だったのだ。

 悔しがる彼の前で言った言葉は”まあ、才能の違いだね?”この強い自己

肯定・・これが必要なんだよ、うまくなるには!!矢沢永吉さんもそうだった。

そこでは日本人の美徳、謙遜、謙譲は関係ない。おれは最高さ・・とうそぶく、

その裏にどれだけの努力があることか・・やはりインタビュウを聴いていたら

1日に最低8時間は練習しているという。  

 私は実は、中学時代クラシックギターの通信教育を受けていたことがある。

その名は東京音楽アカデミー。日本のクラシックギターの草分け、小原安正

先生、そしてその娘の聖子先生の指導のもと、全くの初心者から、禁じられた

遊び、タルレガ(ギター界のベートーベンと呼ばれる)の”ラ・グリマ”から、

フラメンコ・ギターのトバクチまで、そしてあの難曲”アルハンブラの思い出”

までが確か2年くらいで弾けるようになったのであった。




 だから、さっきの村治香織さんは先生が小原聖子先生だから、私とは

兄弟弟子だと私は勝手に思っているのである。なぜ、ギターでずっと行

かなかったかと言うと、爪が私は柔らかい方なので、あのパキーンという

乾いた音がどうしても出なかったので、あきらめたのだった。jazz、rock 

guitarにはなぜ行かなかったんだろう??それはもうすでに 中学高校で

sax、の魅力に目覚めたからだろうな?



小原安正先生、聖子先生、村治佳織


 ギターってやせたおぼっちゃまタイプが多いだろう?おれがクラシック

ギターだとどうしても古賀政夫って言われちゃうしな?(何?知らないっ

て?美空ひばりの悲しい酒や、湯の町エレジイなど昔のヒット作曲家

さ!!超有名)でもむかしアコースティック・ギターをやっていたせいで、

聴くのは大好き。ジョージ・ベンソンや、アール・クルーはいいねえ?

ウェスはもちろん、ジョー・パス、タル・ファーロウなんかたまんないね?

もちろん、マイク・スターンや、ジョン・マクラグリン、ジョン・スコなんか

もね?忘れちゃあならないパット・メセニー、ジム。ホール。


音楽ジョークのページ 2000/10/01

最近見つけた、音楽ジョークのページから傑作の抜粋です。 お楽しみ下さい。

少々解説も付けました。



●我々は大気汚染に悩まされているが、大気の多くがサキソフォンを通過して

きたものだということに思いを馳せると"何故だ?"という疑問は雲散霧消する。

(ひ、ひどい!)



●半音の定義は? ユニゾンで吹いている

二人のオーボエ。


●ゴリラがトランペットを演奏できない理由。

繊細すぎるため。(最近みた、ゴリラ

が日経を読んだら、1週間後に進化してガッツ

石松になっていたというコマーシャル


をい思い起こさせる、ちなみにゴリラはとても繊細な性格とか・・・・)


●ホルンが神の楽器だと呼ばれる訳は? なぜなら、人が息を吹きこむが、

そこから何が出てくるかは神のみぞ知るから。(ホルンは実際、とても高い倍音を常

に吹いており、トランペットで言うと常にハイトーンを吹いてる感じ、オーボエと

並んで、とても難しいのです。ちなみに、サックスとフルートは、木管の中では最

も易しいとか?)


●バイオリニスト「僕は料理が得意でね。中でもホットケーキをフライパンの上で

次々に自在に裏返すところなんか、是非君に見てもらいたいよ」 ホルン奏者「次

から次へと裏返してしまうだけなら、僕の方がずっと上手だと思うよ」(裏返す・・

とは、間違って音がひっくり返ること)

●ホルン奏者「えっ?この部分はinEだったのかい?僕はてっきりinFだと思って

いたよ。指揮者も注意してくれればいいのに」 トランペット奏者「音程が合って

いる限り注意されるわけがないだろう」


●ドラマーとドラムマシンの違いは? ドラムマシンには1度だけ情報を入力して

やれば良い。


●ギター奏者が口の両側からよだれを垂らしているとして、この事実からい

えることは? 舞台は水平である。

●地域の合唱団が主催する毎年恒例のヘンデルの「メサイア」の初練習に、

あるベース奏者が何分か遅刻してきた。彼は楽器と弓を取り出すと、さっと指揮

者の方に向いた。指揮者 "調弦の時間をとりましょうか?"と尋ねた。ベース奏者

は少々びっくりした風で答えた。 "え?去年とは調弦が違うんですか?"


● あるバイオリニストが妻に言います。 "ああ、可愛いお前。私はお前をバイオ

リンのように扱えるよ。" 奥さん答えて曰く。 "どっちかと言えばハモニカみた

いに扱ってほしいわ!" (少し大人向きかな??)


ダンスの公演 2001/09/13 

 さて先週の土日は、相模大野、百合ヶ丘、鶴川方面で大規模にダンスス

クールを展開するヒロミダンスカンパニーのダンスの公演でした。主催者の

牧野博美さんは20年前にスクールを始められ、現在では在籍者数3000名

という大人数を指導されています。  やり手営業マンの10歳年下の旦那さま

と組んで大事業を展開されています。私も教室経営者の端くれとして見習

わなくては...この仕事は、舞踏関係が得意なピアニストの西直樹くんから

回ってきました。彼はサックスマシーンズのメンバーでもあるのですが、演劇

や舞踏の音楽もよく作るのです。

 この公演にゲストとして参加している東郷輝久さん(ベテラン・ジャズ・ボー

カリスト)のコンサートだとばっかり思っていたのですが、ふたを開けてみると

ジャズダンスの伴奏の仕事でした。  ヒロミダンスカンパニーは、在籍者数

3000名だそうですが、それでも当日の出演者数は100名余、40分のステ

ージを一部二部と2回、それをさらに昼夜とやるわけです。われわれが参加する

のは全体の四分の一程度ですが、全体で30曲位あるでしょうか?それらに

すべて振り付けが付いているわけですから、いかに大変か少しは想像できる

でしょう。テーマとソロの暗記ができないとぼやいている人は少し見習ってください。
 
 実は私は以前ジャズダンスとは縁があって、某ダンスカンパニーの公演を何度も

手伝ったことがあるのです。あの踊りのパワーは素晴らしい!!鍛え抜かれた

ダンサーが素晴らしい振り付けと素晴らしい肉体で踊る様を見るのは喜びです。

男性の踊りも力強くて素晴らしいですが、やはり美しい女性が見事に踊るのを見

るのは、男女を問わず、命が花開いている様を見るような喜びがあります。

 今回も、出演者はすべて女性で、それこそ小学生中学生のジュニアの人たち

から、20代30代までの中級者からかなり熟練した人たちのパフォーマンスでし

た。音楽も古いジャズから、チャールストン、スウィング、ブルース、ファンク・

リズム、ラテン、などいろいろな分野に題材を求めていました。

 全体としてはミュージカル仕立なのですが、あらすじは、ある少女が母親と

仲良く暮らしているのだけど、プロデューサーに認められスター街道を登りつめ

て行く。疎遠になる母と娘。都会に旅立つ日、ある事件が起こり、母は気が

つく、スターよりもなによりも大切な存在に…。そして再び強い絆で結ばれる

母と娘。そういった物語を、セリフなしの踊りによるミュージカルに仕立ててい

るのでした。  

 振り付け自体はそんなに目新しいものではないのだが、なによりも出演者

が新鮮な気持ちで真剣に踊っているのがこちらに伝わって来て小気味よい。

私は特にカルロス・サンタナのブラック・マジック・ウーマンが気に入りました。

私はその曲では、サンタナのギターソロを下敷きにフルートで即興演奏をして

いるのです。牧野博美さんの鳥の羽の付いた帽子の出で立ちも素敵だったが、

誤解を恐れずにいえば、周りの若い娘さんたちが真っ赤なアラビア風の衣裳で、

ターンしたり、足をあげたり、肩を動かしたり、すばらしく美しく踊るのを見て、

喜びがこみあげてくるの感じたのでした。

 ダンサーの皆さんも、生バンドで踊るのは初めてなのでとても感激したと

聞く。だってそれは、演奏がとてもよかったからね?だって西直樹と菊地康正

が一緒にやってるんだからね?

  いつもレッスンで言っていることなのだが、踊りと音楽は同じもの両面な

のだ。音楽学者はよく下半身のリズムという言葉を使う。

 これは、世の中のほとんどのポップスが、単純な腰に響くビートの繰り返しで

できていることを指している。だからといって、下品だといっているのではけっ

してない。下半身はは、生命力に関係しているし、命であり、原始的だけど

喜びであるはずだから...  音楽でも、特にリズムは踊りと関連が深い。

踊るようにリズムをとると、生き生きとした音楽を演奏できる。原始的な生命力

を持ったリズムの上に、精神性のあるもの、芸術性の奥行きの持ったもの

を付け加えて深い作品になるのであろう。だけど、根底に生命力のないもの

は嘘っぱちだ。リズム的に魅力のないジャズ、ロックなんて考えただけで

白けるだろう?本当に魅力的なリズムというのは、あがらいがたいものであって、

聞いているだけで嬉しくって、気が付いたら一緒にリズムを取ったり踊りだし

ている・・というものなのだ。
 クラシックの世界で、音楽の生命力の衰弱していくのに警鐘を鳴らしたのが、

ストラヴィンスキーだろう。あの春の祭典の原始的なリズムはどうだろう?

(ああ、また春の祭典を聞きたくなってきた、ジャズが好きな人は、バッハとストラ

ヴィンスキーは必ず聞くべきだろうね?)音楽が持っていた原始的なパワーを蘇ら

せた記念碑的作品と言われているのだ。


  とにかく、昨日のダンス公演で私は命のきらめきの美しい滴(しずく)*を鑑賞

して嬉しかったのだ。(*それを本当は詩人の白石かずこさんに習って、エロス

と呼びたいのだが、今の時代エロスという言葉がいかに醜く、軽蔑されて使われ

ていることだろう。実はすべての芸術の根源にある基本的な生命力のことであり、

それ無しには我々人類が一瞬たりとも生きていけないものなのに・・・・)

   付け加えると、生演奏以外で使われていた音楽は、マーカス・ミラーの

音楽、デイヴィッド・サンボーンの曲が多かった。本人に確かめたところ、本人

が自分で音楽を選んでいるとのこと。私もこの二人は大好きなので、音楽の趣味

は合いそうだ。 あと主役の小学生の女の子の踊りと歌の可愛いらしかったこと

!!お化粧してヒールをはいて真っ赤な服を着て恋の歌を歌って踊る小学4年生

の女の子はしっかりと女に見える。男の子だったら餓鬼にしか見えないだろうな?



日本にも久々に大物歌手。小柳ゆき 2000/09/16



 今日は歌手の話題。歌は人によって好き嫌いが激しいので、どうかとも

思ったけど、まあ私の個人的趣味を披露してしまおう。  最近、shopで、

ふと流れている曲がよくって、買ったのが小柳ゆきの’expantion’これが

聞き込むにつけてなかなか良くなって来た。あなたのキスを数えましょう

で、なんだ高橋まり子がまた新曲かいな?と思っていたらまだ10代の新人

歌手と聞いて、歌唱力のある人だなあと思っていたところ、アルバムを

聴いていると、歌唱力だけではなく、感動させる力のある人だと判明。

 これは、もしかしたら、アレサ・フランクリンや、チャカ・カーンなどソウル

系の本物に化ける可能性がでてきた。また、70年代ソウル、フィラデル

フィア・サウンドの感じの音作りも懐かしく、特に’Be alive’は聞く度に

励まされる思いがする。プレシャスタイムは、日本人による、gospel 

song の最高峰といえるだろう。この人がほんとに18才?なんだか

聞いていると人生すべてわかってるぜ・・って歌い方に聞こえるんだけ

どなあ・・・。    

 ネットで調べたら、あったあった、公式ページに本人登場のBBS、書き方

はやはり女子高生(だって、私の息子高3と1つ違い)だったけど、高校の

時にカラオケで、お手本の歌手のCDと、自分の歌を録音して比べ、そっ

くりになるまで練習したとのこと、目標は、アレサと一緒に歌えればという

ことだった。できると思うよ!君なら。レコード会社へでもテープを30本送

ったのも立派。取り上げなかった他の29社の担当者は歯ぎしりしている

はずだよ。

 生徒のF君が’カバ−’というアルバム、及び1枚目も良いよと言うこと

で早速購入、これもドナ・サマーや、サイモンとガーファンクルの曲なん

かも熱唱していていい感じ。でも最新作の方がぐっと大人になった感じ

がするから、ここ半年で急激に伸びているということになるね?

 ああ、本当に音楽の才能は年とは関係ない。日本人でもこんな素晴ら

しい才能の持ち主がいたんだと言うことを誇りに思うし、あの素晴らしい

声を聴けるのを神に感謝したい気持ちだ。是非皆さん、聞いてみて

下さい。感動しますよ。  ちなみに’カバ−’では、’Cry me a river’(Sax

machines でもこの曲のデモを作ったことがある) で、fluteの井上信平氏

の音が聞けてびっくり。自分だったら、どんなアプローチをするだろう

な?と想像してみたりして??今回の’expantion’に楽曲を提供して

いるは原和博氏。本人もアーティスト活動している人で、こういう作曲の

センスも好きだなあ。

でもこう言うのはまさに個人的趣味の世界なので、自分の趣味を

人に強要する気はさらさらありません。ある人が感動して涙してい

るのに、ある他の人は、何がそんなに良いのかさっぱり解らずにいる

というのは、良くあることです。また、今まで良さが解らなかったのが、

年齢とともに経験を積んで解るようになることもあるし、時代とともに

人間というものは感じ方も変化していくものなので、あの時あんな

に良いなと思ったものが、あれは何だったんだろう?と感じることが

あるのも事実。

Aretha Franklin and James Brown - Gimme Your Love


  さて、私の好きな歌手遍歴はといえば、思い起こせば、中学生

の時に聞いたアレサ・フランクリンの小さな願い(バート・バカラック)

は良い曲で、黒人系のシャウトする声にしびれたのが最初で、オー

ティス・レディングの、ドック・オブ・ベイなども、好きだったなあ。

ドーナツ盤(アナログレコードの今で言うとCDシングルに当たる

やつ、裏表で2曲入りで¥340位と記憶している)でいつも聞い

ていたっけ。 (もっと前の時代の歌手遍歴もあるけど、恥ずかしい

のでまたの機会に・・) その後、日本人では大橋純子という人が

声量があって、バンドもかっこよかった。(ミノヤ・セントラル・ステイ

ション、メンバーでは、その後一風堂に参加した、土屋昌美(gt)

が有名、最近ではシャズナに楽曲を提供していた)ヒット曲は

シンプル・ラブ、LPはすべて持っていたね?  あとは、チャカ・

カーン、この人は最初はルーファス&チャカ・カーンでヒットを飛

ばし、ソウルの女王といわれている人。その名も”チャカ”という

アルバムでは、ブレッカー(ts,tp)や,ジョージ・ベンソン(gt)も参加し

たご機嫌なアルバム(LP)だったね?あまり聞きすぎてすり減って

しまい、もう1枚買ったことがあるという、今では考えられない

アナログなお話。  チャカが、チック・コリア、ジョー・ヘンダー

ソン、フレディー・ハバードらと、jazz のスタンダードばかり

歌ったアルバムもあって、それもお気に入りだった。そこら

のjazz歌手よりよほどソウルを感じたものだ。


CHAKA KHAN / A NIGHT IN TUNISIA ----- LIVE



 武道館で、ハービー・ハンコックらと来たときに見に行ったことが

ある、スタン・クラーク(b)やレニー・ホワイト(drs)のリズム隊も良かっ

たけど、チャカの衣装センスだけは頂けなかったな?まるで

場末のストリップ小屋だった。  その後ノックアウトされたのは、

あの有名プロデューサー、D・フォスターがプロデュースした、

その名も”アレサ”、一番好きだった曲は、ドゥービー・ブラザーズ

のヒット曲 ”What a fool believes"この曲のアレサの感動的な

シャウトのあと、セクシーな女性コーラスで盛り上げた後のD.

サンボーン(as)のソロの入り方といったら・・・歌伴の天才としか

言いようが無い。この曲で何度涙したか思い出せないくらいだ。  


 そのほかに、ティナ・ターナーのプライベート・ダンサー(グラミー

を確か取ったとき)も素敵だった。これも武道館に2回は見に

行っている。男性では、一時プリンスにはまったことがあるが、

これについては書きたいことは多いのでまた改めて書いて

みたいと思っている。

 こうして考えてみると、自分が、jazzと言うよりは、black 寄り

の pop rock が好きな体質なのがよくわかる。やはり東北の

北部(秋田出身)と言うことで、縄文人の血が濃く、南方海洋民

族系の血が騒いで、ラテン、黒人などの有色人種系の音楽に

共感すると言うことなのだろうか?だけど、大貫妙子のあの

透明な声と詩の世界が大好きな時期もあったりして・・人間の

遺伝子の解明が進んいるけど、今後のゲノム解析でそういった

ことも解明して欲しいものだ。



楽士の本懐 2000/夏


 数日前に晴れているのに激しく夕立が降った夏のある日。いつも

のようにトンネルの下でサックスとフルートを練習していた私。夏は

いつもトンネルの下で練習するのである。私と同年代ぐらいのサン

グラスの紳士がちょっと雨宿りさせてもらっていいですか?聞いて

いていいですか?というのである。いいですよ..と練習している

と、良い音だ!といって聞いているので、せっかくだから基礎練

ばかりだと何なので、カーオーデォでマイナスワンCDをかけて演奏

した。私の車のリヤスピーカーは外向きにもセットできるので、

ゲリラライブも可能かも知れない。曲は Body and soul,Desafinade~

であった。一曲終わる事に拍手が…いろんなところで演奏してます

よね?CDも出されてるんですよね?その質問には両方とも

イエス、イエス。

やはり音だけ聞いていてわかるだろうさ。さらに演奏していたら、

今度は60歳代と見うけるおじさんが、イヤー良い音だねえ?と

言いつつビールを片手に現れた、二人のオーディエンスを前に

また演奏が始まった。いつものことだが、全くの素人さんほど上手

いか下手かははっきりわかるものらしい。やはりいつもCDとライブ

情報のチラシは持参するべきだと思った。  

 演奏のあとも何となく3人で話をしていたら、話が大変面白い。

一人目の紳士は、仕事は彫刻の方で、それも普通の彫刻もやる

のだが、専門は空間に色をつける?…といってもピンとこないの

だが、北極地方で見られるというあのオーロラ、それを電気的に

原子と原子をぶつけて発光させるというのだ。話を聞いていくと

山海塾という顔を白塗りにして不思議なパントマイムをする集団

(写真参照)の手に持っていた卵は彼がつくったそうな?

 昨日、奥様から、家を出ていって!といわれて、今日帰るところ

もなく…、音が本当に心にしみる・・・とのお話。  そりゃあそうで

しょうよ。こっちだって心を込めて演奏してるんだから..人生いろ

いろあらあな。まあそう言ってもらって、町の楽士としては本望さ

!(本当は練習しただけなんだけどね?いつどこで誰が聴いて

いるかわからないものなのさ)それにしても、作った仏像の写真

や奥さんや子供さんの写真まで見せてもらって、おれたちって

本当に初対面? (笑)

 
 もう一人の大先輩も、話していくと、青森から裸一貫で出て

きて、タクシーの運転手でお金をためたのが東京オリンピック

の時代、そのお金で土地を買って八百屋を始めたのが30歳の

時。十数年間は儲かって儲かって笑いが止まらなかったそう。

奥さんをガンで失って、新しい奥さん、子供達にとっては新しい

お母さんをもらったら、ぐれた長男が暴走族になり、21歳まで

やまなかった。長男を更生させるために1500万を使ったそうだ。

大変だったんだね?その息子さん、今はサラ金会社を経営して

大成功しているそうだ。人生だ?  

 話しているうちに3人で今度は食養生の話。大先輩が飲ん

でいるのはローヤルゼリー、酵素..それも体にいいでしょう。

おかげで今でも若い妻と週に3回は仲良く…そうですか、そん

なこと聞きもしていないのに・・・(笑)、勝手にお励み下さい?!

今私が飲んでるのは、黒酢とイチョウ葉エキスである。これが

私には相性がいいらしく、とても体の調子がいい。飲んで2ヵ月

ぐらいになるのだが、肌のガサガサ感が消えてつるつるにな

ってきたような気がしている。体脂肪を燃焼させるにもとても

良い効果が出ているようだ。うまく体重が減ってきたので、

昔のエアロビと筋トレでジム通いしていた頃を思い出して、今度

は運動で体を引きしめようかな?さあ今日も、トンネルの下へ

これから練習しに行くことにしよう。


東西気が早い者対決 2000/夏
 

昨日の夜のこと、例によって横浜市***の電車のガード下の

トンネルでマイナスワンCDを使ってフルートの練習をしていた。

曲はThere's no greater love 。スケボーの練習帰りの少年たちが

通り過ぎたと思ったら、曲が終わるとともに拍手がきた。「すげ

えっすよ!!(演奏が)頑張ってください・・」とのことだった。・・・・・

・いやいや、まだまだ、サックスのように考えたことがほぼフレーズ

で表現できる域に達するにはもっともっと練習しなくては・・ 練習に

疲れてカーステレオラジオに切り替えたら、ビゼーのオペラ、カルメン

のラジオ

ドラマをやっていた。皆さんもご存じの通り、カルメンは情熱の女、

恋多き女、あれだけどんどん新しい男に、熱を上げていったら、

刺し殺されても不思議はない。 10年前に、ニューヨークシティー

オペラでもこのオペラを見たが、今回がいちばん意味がよくわか

った。  

 カルメンの台詞にこんな言葉が..闘牛場で花形闘牛士のエス

カミリオを見た私はその場で一目ぼれ。彼の気を引くために私は

彼の前に姿を現わした。男と女に言葉は入らないのさ。エスカミ

リオは私の姿をてっぺんからつま先までなめ回すように見つめた。

すぐに私たちは恋人同士になったさ(?!)。  なんて気が早い

んだろう!(手が早い?)梅原猛先生訳の日本古事記に、ある

豪族の娘が門の前に来ている男性(天皇家の皇子)が、あまり

にも良い男だったので、その場で男女のちぎりを交わりをした・・

という文章を読んで度肝を抜かれたことがあるが、どちらが

気が早いだろうか?(東西気が早い者対決?)

  またエスカミリオの台詞にこんな言葉が・・カルメン、お前

のために今日は牛を刺そう、だからこの剣にキスしておくれ。

(今夜は牛刺しかい?)

 それにしてもビゼーの音楽は素晴らしい。投融資の歌(?)

もとい、闘牛士の歌など、どろどろした情念、スペインの雰囲気

をよく表している。音楽を聴きながらフルートで一緒に吹いて

しまった。

 今日の夕方も、ジェイミーの、ラテンジャズ特集のマイナス

ワンで、フルートを練習していたが、アドリブがうまく行かない

とバカ野郎とどなったり(対人関係では温厚な私は自分には

結構短気な人)、気分が乗ってくると踊り出したり、知らない

人が見たらさぞ変な人だろうな?どなったり踊ったりしてい

たら、いきなりどしゃぶりになってしまった。それにもめげず楽

しくフルートを練習していた。やはり俺は、プレーヤーだ。

だって演奏しているときがいちばん楽しい。天気はどしゃ

ぶりでも、心は快晴さ。


巨星墜つ。追悼松本英彦先生 2000/3
スターダスト Star Dust 松本英彦
ダニーボーイ Danny boy 松本英彦



 今日は菊地康正です。先日、私の師匠である松本英彦先生

がなお亡くなりになり、葬儀に参列してまいりました。皆様もご

存じと思いますが、故松本先生は、日本を代表するテナーサ

ックス奏者で有り、教育者としても優れた業績を残されました

。心から御冥福をお祈りいたします。



 葬式では、私はスタッフとして参加し、場内整理のお手伝いをさせていた

だいたおかげで、松本先生ゆかりのいろいろな方にお会いすることができ

ました。私と同年代または私より若い人たち、私より先輩の音楽家の皆さん、

さらにその先輩の皆さんと錚々たるメンバーでした。



  残念だったのは、最晩年の2年半は、医療ミスによって記憶を失われ、

佳子奥様の献身的な看護の下、リハビリテーションに励まれていたのですが、

ついに音楽家として、また人間として復活することができずに天に召されまし

た。  私菊地康正にとって松本先生の存在ははかり知れないものがあります。

音楽家、ことにサックス奏者としての私が今あるのは松本先生のおかげである

といってもいいと思います。ここで感謝の意味を込めて、私の知っている松本先生

の御紹介をさせていただきたいと思います。細かいところでもし間違いがありまし

たら御容赦、御指摘願いたいと思います。




 松本先生は、私の父と同じく大正15年のお生まれです。太平洋戦争の時は

通信兵として活躍され、モールス信号を打つのが後々音楽に非常に役立った

と話されていました。ご両親は邦楽の師匠で確かお父様は尺八、お母様は

三味線の先生だと伺っております。  最初はトランペットを志していた松本先生

は、トランペットからテナーサックスに持ち替えて1年後にはすでに日本のトップ

スターの座を射止めていたと伺っております。この辺は、あの天才ドラマー村上

秀一さんにそっくりです。最初からうまい・・・という奴ですね?ご両親から受け

継いだ音感とリズム感の良さがそのとき既に開花していたのだと思います。





 その後は、ゲイセプテット等を経て(このころ録音技術がまだ発達しておらず

、伝説に聞く有名バンドが今の耳にはどのくらいなのかは想像するしかあ

りませんが、唯一聞けるのがあの、銀パリ・モカンボセッションです。)皆さんも

ご存じの通り戦後のジャズブームの頂点に立ったジョージ川口とビッグフォア

というバンドで大活躍をされます。歴史の本によると、日本が戦争に負けた

後を占領軍アメリカは数年間占領していました。この間キャンプではジャズを

演奏する日本人ミュージシャンの仕事がたくさんあったわけです。この時代の

代表的なプレーヤーに故森安祥太郎、秋吉敏子(いずれもピアノ)などがいら

っしゃいます。





 ジョージ川口さんや、松本先生がどのくらい大スターだったかというと、本当

に現在のロックスター並みだったと聞いております。球場でコンサートをやる

とファンで満杯になり、ギャラを分けるときに多すぎて数えることができず、札束

を積み上げて高さで分配したという伝説上聞いております。(一度経験したいも

のです)  そのころはまだロックも登場しておらず、ジャズが時代のトレンドだ

ったようです。先日テレビで当時の映画(昭和28年、ビッグフォアの皆さんが

出演)の紹介をしておりました。映画のタイトルは何と「銀座青春ジャズ娘」でし

た! このタイトルも当時は斬新で、しびれるようにかっこよかったんだろうと想像

されます。もしビデオが残っていたら是非見てみたいものだと思っています。



娘十六ジャズ娘Tこれは、銀座青春ジャズ娘の続編です。




 その後ブームが去って不遇の時代もあり、病気の時代もあり、私が

お会いしたころはちょうど50代前半だったと思いますが、すっかり人間

的に丸くなられておりましたが、昔はとても怖い人だったそうです。日本

の音楽家のリーダー的存在で誰にでも本音で叱咤激励していたらしい。  

swing journalの人気投票テナーサックスに部門では確か20年以上1位を

続けていらっしゃいました。  私はといえば、中学高校で吹奏楽を経験、

高校生の時代からはプロのジャズミュージシャンを意識して自分なりに

レコードコピーをしたり、もう実際にプロの世界に端を踏み入れてから3

年目ぐらい、全くの駆け出しのときでした、松本先生にお会いしたのは。






 実際にお会いしてみて、他の職業の人には決して感じられない芸術家と

いうか芸人というかアーチストというかそういう人たちの発している独特な

オーラを感じたのを覚えています。  サックスの音は最初は何か艶のない音

にも感じられましたが、だんだんその良さがわかるようになりました。1番不思

議だったのが、指の動き方でした。音を聞いていると素早く音階を上がったり

下がったりいてしているのに指を見ると何かスローモーションの映画を見て

いるようにゆったりと美しく動いているのです。






 いろいろ習っているうちに、松本先生の勉強法は、とても貪欲で徹底

しており、非常に昔のスタイルから、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン、

スタン・ゲッツ、などのスタイルを深く研究されているようでした。びっくりす

るのは、異常な耳の良さに加えて、決してあきらめない忍耐力というか、

執念深さでした。例えばあるレコードのあるソロに自分の知らないやり方

を見つけるとそれを書き取って必ず全キーで練習されていました。





また昔は、jazzのテナーサックスの入ったレコードはすべて入手されて研究

されているようでした。アメリカに行くことはない。レコードを順番に研究

すればうまくなれるんだよ・・というのが口癖でした。  松本先生のところで

半年ぐらい勉強するうちに、先生から教える方を、手伝ってほしいと言わ

れました。自分でよかったら・・と教え始めましたが、これが非常に勉強

になりました。今考えると20代の前半から教えていることになります。
 




 また今考えると松本学校でゲストを迎えてのsaxクリニックが何回か

ありました。なんとアーチー・シェップやデイブ・リーブマンを迎えての


クリニックでした。今考えると赤面ものですが、未熟な私も彼らと一緒

に吹かされました。もちろん松本先生も彼らと一緒に演奏しましたが、

決して負けていなかったと思います。こんな贅沢なクリニックは今の

日本では考えられません。



  この当時、私の演奏スタイルは徹底的に松本先生の影響下に

ありました。信じられないかもしれませんが、私個人の趣味としては、

松本先生のフィーリングは好きではありませんでした。今考えると、

そのころの私のアイドルは、コルトレーン、そしてロリンズであり、サックス

は男らしく吹かなければ駄目で、スタン・ゲッツなどオカマの腐ったよう

にしか聞こえませんでした。ウエイン・ショーターも音楽は好きでしたが、

音は嫌いでした。要するにまだいろんな人生の哀歓のこもった松本先生

の音、表現が理解できなかったのでしょう。  





 でも好きとか嫌いとかいう問題ではなく、スポンジに水を吸収する

がごとくに松本先生の音楽そして存在そのものを私は吸収していた

のだと思います。レッスンのほかに、松本先生のコンサート、演奏をよく

聞きに行きました。メンバーの紹介の仕方や、MCの仕方、派手なハンカチ

で汗をふくしぐさなど、ステージの盛り上げ方、いろいろなものを学びました。

 jazzはアドリブといいますが、もしその場で考えて音楽を作っていたら失敗

することもあるでしょう。ところが松本先生には絶対に失敗はなく、どんな曲

でもあらかじめこれとこれだけは吹く・・という楽想を準備されその通りに吹い

ていました。  これは、Miles Davis など世界の一流を聞いてもそうなので、

そうか即興演奏といっても決していい加減なものではなく、即興的な要素を含

む書かれた音楽なのだ・・・ということを学びました。




 だから私は生徒に、楽曲のソロを含めた暗記を勧めているのです。

その後、松本先生が知っている限りの業界の方に私を紹介してください

ました。おかげでだんだんとメジャーな仕事の世界へ足を踏み入れること

ができたのです。その世界では音楽的実力のほかに人間が紳士である

こと、ウイットに富んでいることも大事だと痛感しました。

 私の意に反して(?)音色、フレーズなどがあまりにも松本先生に似て

しまったのでいろいろな人から松本英彦の一番弟子(コピー)といわれた

ものです。それからぬけ出すのに非常な努力が必要でした。





 35才くらいの時に、確か世良譲さんの仕事でスローバラードを吹

いて、自分ながらうまく演奏できて、・・ああ、俺もついに師匠を超え

いっぱしの大人の表現が出きるようなサックス吹きになったなあ・・

と感慨に浸っていたときのことです。でもよく考えるとなにか聞いたこ

とのあるサウンドの様な気がして、いろいろ考えていたら、何だ、これは

松本先生の表現と同じだなあ・・と気が付きました。






  江戸時代の寺子屋では論語詩経の素読を子供にやらせ、意味は分

からなくても丸暗記させていたそうです。大人になるとそれが自然に意味

が分かったと言いますが、私も松本先生から同じやり方で恩恵を受けてい

たのです。これではお釈迦様の手のひらの上の孫悟空と同じだと悟りました。

では次回は1979年に松本先生と一緒にスイスのモントルー・ジャズフェス

ティバルに演奏に行った話をすることにしましょう。このときほど松本先生の

天才を感じたことが有りませんでした。(つづく)